「遺言書」という争いの種を蒔く
遺言書には、誰に何を相続させるとか、誰に何を遺贈するとか書きますが、これは結論とでもいうべきもので、なぜそのような結論なのか情理を尽くして「付言事項」として書くことができます。もっとも、遺言書には何を書いても構いません。せっかく書いても法的効力がないことがあるというだけです。
では、遺言書は何のために作成するのでしょうか。
つぎのようなことを想定してみました。
- 長男、二男、三男がいるとします。二男は友人の借金の保証人となって、友人が逃げてしまったため、代わりに借金を支払うよう金融機関から請求されました。請求額は500万円でした。
- 二男は法律家に依頼したところ、貸金業法に違反していたせいもあって、250万円になるようにしてもらいました。二男はその250万円も全額自分で支払うことができず、親から150万を援助してもらいました。
- その後、親は病気で寝込むようになり、急に怒り出したり、記憶違いをしていたりするようになったので、三男が遺言書を書くよう勧めたところ、遺言書を書きました。「二男には500万円の借金の肩代わりをしてやったから、500万円は特別受益として計算するように」と書いたのでした。
- その内容を後日、二男が知って、親と喧嘩になりました。
「いや、法律家に相談したところ、500万のものが250万になり、そのうちの150万を援助してもらったではないか、寝ぼけたことを言うな」と怒りました。
- 親は三男からも500万だと聞いているし、確かに自分が金融機関へ袋に包んで500万円を持参した、とまで言います。それどころか、あまり二男が怒るので、親も怒り出し、二男は親を大事にしないから、一切相続させないという遺言に書き換えました。
- そしてその親御さんは死亡しました。判断力の衰えた親に、三男が「500万」だと吹き込んだのか、それとも親が単に勘違いしたのかわかりませんが、調査したところ、二男の言うとおり150万円だったようです。
事実関係をある程度は把握しなければ遺産分割協議書の作成が困難で、相続手続きができません。
こうなると遺言書は、まさに「争いのタネ」です。遺言書は判断力がしっかりしているうちに、きちんと作らなければならないという例だと思います。